2025年12月11日木曜日

心理的安全性の分析
トリプルシンキング

この記事は、ケーシーエスキャロット Advent Calendar 2025 の11日目の記事になります。

これまでの3つのストーリー、まとめるとこうなります。

1章:ググール国、侵攻を深める
2章:まほろば国、親交を深める
3章:あしはら国、信仰を深める

色々な「シンコウ」の深め方があるものですが、狙いと違う結果になっているなら残念なことです。

世の中にあふれる「心理的安全性」についての記事には、まほろば国へと誘導するような間違った内容のものが結構あります。
幸いなことにそれに警鐘を鳴らす記事も多いのですが、残念ながらあしはら国へ誘導しているように見えるものも多いです。

やらないよりは良かったね、と言えなくもないのです。実際「メンバ間の交流が増えて良かったです」という報告をもって、成功事例として紹介している記事もたくさんあります。

ただ、個人的にはモヤモヤして落ち着きません。だって目的が違うから。そこでこのモヤモヤを年内に解決するべく、トリプルシンキングしてみました。

あらためて google の研究結果のリンクを貼っておきます。
「効果的なチームとは何か」を知る


■ まずは気楽に、ラテラルシンキング


google の研究内容を読んでいると「メンバーは皆話したがっている」とか「メンバーにはそれぞれにやりたいことがある」ということが前提になっているように感じます。例えるなら皆がアクセルを踏んでいる状況です。アクセルは踏んでいるものの、心理的安全が低いためにブレーキもかかっているような組織を想定しているのではないでしょうか。だからこそ、心理的安全性を高めてブレーキを解除することで自然に前進するという論理展開です。メンバーが全員アクセルを踏んでいる、もしくは踏もうとしている前提なら確かに効果がありそうです。

でも、実際にそんな組織がどれくらいあるでしょうか。自分の名前を上げたい、出世したい、活躍したい、そんな熱い思いを持ったメンバが集まっている組織よりも、自分の役割を誠実にこなすというスタンスの人が集まっている組織の方が馴染みがあるのではないでしょうか?文化的な背景の差があるので、個人的主張を持って会議に参加するよりも、与えられた役割の範囲で順番に状況を報告するという経験の方が多いと思うのです。

うまく表現するのが難しいのですが、文化的背景が違えば、リスクとして感じるポイントもちょっと違うのではないかと思います。来週から来なくて良いよと言われたり、プロジェクトから急に外されたり、発言に対してはっきりとした批判を受けたりするならリスクです。その危険を冒してまで発言をするのはハードルが高くなります。だから心理的安全性を高めようと言うのは分かりますが、日本でそんなリスクに晒されている人はあまりいないはずです。日本人が感じているリスクは違うところにあるような気がします。

あえて言うなら、goole が想定していると思われる前述のようなリスクは「恐れ」で、日本人が感じているのは「畏れ」ではないかと。「先輩を差し置いて経験不足の自分がアイディアを出すのは躊躇われる」とか「最低でもこれくらいのチェックはしておかないと不安だな」とか「このペースでは他チームに迷惑がかかるんじゃないか」とか、そういう配慮からくる「畏れ」の方が日常的に意識されるのではないでしょうか?

google が想定しているのは、みんなでアクセルを踏んでいるものの、前方にある明確な「恐れ」のためにブレーキがかかり 5km/h しか出ない組織。
それに対して日本の場合は、背後から迫る暗黙の了解のような不明瞭な「畏れ」に押されて、慎重に 5km/h で進み続けている組織。
こんな傾向の違いを感じます。どちらも現在 5km/h で進んでいるのは同じです。もっと早く進めたいという気持ちも同じでしょう。でも「恐れることはないよ」を言えばブレーキが外れて加速するのに対し、「畏れることはないよ」と言えば推進力が失われて進む意味がなくなります。

もし、自分が所属している組織が google 社内のチームとそっくりだと感じるならラッキーです。google の研究結果を参考に心理的安全性の効果を味わいましょう。でももしそうじゃないなら、心理的安全性を取り入れるのは注意が必要です。

【使用上の注意】
心理的安全性の有効性は確認されていますが、体質によっては効果が出ない場合があります。

■ ちょっと真面目に、ロジカルシンキング


「心理的安全性とは何か?」について語られることが多いですが、それよりも「効果的なチームを作るにはどうするか?」という視点で分析したいと思います。google もそもそもそういう目線で研究していますので。

諸々はざっくりと省略して、結論を式で表すと次のような感じに整理できるのではないでしょうか。
「効果的なチーム」= 「実践的積極性」x「心理的安全性」

「実践的積極性」という見慣れない言葉が出てきました。それもそのはず、私の造語です。これは先ほどの「メンバーが全員アクセルを踏んでいる、もしくは踏もうとしている」という状況にも名前をつけてみた結果です。google のような組織では、この前提が当たり前すぎて研究対象にならなかったのではないでしょうか。でも大事な条件だと思うのです。実践的積極性がなければ、いくら心理的安全性を高めても、効果的なチームにはなり得ないでしょう。

ということは、組織をよく見て「実践的積極性」と「心理的安全性」のどちらをどの程度高めたいかを設計するのが寛容ということになります。この視点で解説されている記事を読んだことがありませんので、もしかすると斬新な発見なのかもしれません。(すっとこどっこいなだけかもしれませんけど)

日本では「実践的積極性」が見られないケースも多いと思います。これは能力が足りないのではなく、文化の違いです。自分の役割を誠実にこなすことを美とする感覚で成果を上げられちゃうのが日本のすごいところです。これを google の言う「効果的なチーム」にしたいなら「実践的積極性」を見につけた上で「心理的安全性」を高めるというアプローチになるのではないでしょうか。おそらく「誠実に確実に役割をこなす」という組織のままで「心理的安全性」を高めると「そこまで頑張らなくても良いよ」という誤ったメッセージになりやすいと思います。

【使用上の注意】
一歩踏み出す気力が湧かない。そんな症状には「実践的積極性」の服用をお勧めします。

少し本気の、クリティカルシンキング


クリティカルに考えると、ついダメ出しのような形になってしまいますので、ちょっと趣向を変えて「錯覚」という視点で整理します。

▪️錯覚1:心理的安全性が高まると雰囲気が良くなる
これが良くある誤解 NO.1 じゃないでしょうか。実際には安心してリスクのある発言ができるようになるわけですから、発言しない時よりもストレスは増えます。誤解を恐れずに言うなら、安心して口喧嘩できるような強い組織を作るイメージの方が近いと思います。

▪️錯覚2:心理的安全性はどの組織にも有効
google がはっきり書いているように「チーム」に対してだけ有効です。「ワークグループ」への有効性は言及されていません。
さらに、これは見落とされがちですが「google 社内のチーム」に対しての研究結果です。他社のチームのことには言及していません。
すこし前に書いたように「実践的積極性のあるチーム」であれば効果があるのではないかと(私は)思います。

▪️錯覚3:心理的安全性を高めれば行動が増える
心理的安全性とは関係なく行動力は必要です。その力を阻害している何かがあるなら取り除いてあげるために心理的安全性を高めることは有効です。心理的安全性自体に推進力はありません。

▪️錯覚4:心理的安全性はリーダーが高める
リーダーができるところ、リーダーにしかできないところは確かにあります。しかし、実際には組織の中に心理的安全性を脅かす存在が一人でもいれば無に帰します。どのような立場で組織に参加していても、心理的安全性を損なうような言動は慎みましょう。逆に、どのような立場でも心理的安全性を高めることに一役買うことができると言う意識で参加することも大切です。

▪️錯覚5:心理的安全性はどんな目的にも有効
あくまでも「効果的なチーム」を作ることに有効なだけです。とても良い効果が出てイノベーションを起こせるかもしれませんが、残業は増えるかもしれません。そう考えると、たとえば「働き方改革」を意識して残業を減らしたいという目的があるなら、心理的安全性を高めることとは相性が悪い可能性すらあります。

【使用上の注意】
服用に当たっては事前に注意事項をよくお読みください。
既に服用しているものと飲み合わせが悪いこともあります。

まとめ

心理的安全性は、用法容量を守って正しくお使いください。

2025年12月10日水曜日

心理的安全性の物語
第3章:あしはら国の戦い

この記事は、ケーシーエスキャロット Advent Calendar 2025 の10日目の記事になります。

「心理的安全性」を導入するなら自組織に合わせてカスタマイズしよう!という方向での導入事例です。


第3章:あしはら国の戦い

あしはら国の大将は、机の上に広げられた一巻の巻物を、しばらく黙って眺めていた。
表紙には、力強い筆致でこう記されている。

『心理的安全性 正しき心得』

数年前、ググール国より伝わったというその思想は、すでにあしはら国のあちこちで語られていた。大将自らも目を通し、何度も読み返している。ググール国の戦士たちは盾を持つことで戦う力を得たと聞くが、彼らを強くした本質は、盾そのものではないということも見切っていた。

「なるほど……これは“ぬるさ”の話ではない。“正しく扱えば、刃になる思想”なのだな」

大将は深くうなずき、重臣たちを集めた。

軍議の場。重臣たちは巻物の内容を再確認し、その極意を確認しあった。巻物にはこう記されていた。
一、誤りを恐れず語れ
一、異なる意見を敵とみなすな
一、場の安全は全員で守るものなり

「なるほど……」
「これは深い」
「実に、理にかなっておりますな」

そして、しばらくして──
活発な議論とともに、次々と新たな巻物が作られていった。

最初に生まれたのは、続編だった。

『続・心理的安全性 正しき心得』
原著の内容をあしはら国に合わせて書き直したものであり、「あしはら版」を冠しても良さそうなものだが、原著への敬意を込めて続編という扱いにしたらしい。これだけの内容を一巻にまとめられたことは、重臣たちの知識が洗練されてきた証である。それに大将は安堵していたのだが、なんと重臣たちはさらに先を見据えていた。

「心得だけでは足りぬ」
「現場で迷う者が出るのではないか」
「補足が必要か」
などと、さらなる探究心を見せ始めたのだ。

そしてまもなく、新たな巻物が棚に並んだ。
『安心して語らうための十箇条』
『否定なき議論の作法』

それでも重臣たちの探究心は止まらない。
『一対一 対話之儀』
『対話を生む拝聴の極意』

次々と棚に増えていく巻物。さらには参照するべき巻物を即座に見つけられるように、索引だけの巻物も用意された。

もはやググール国の戦術書を超えていると言っても過言ではない。棚を埋め尽くす巻物に検索用の巻物まで添えられ、道ここに極まったかに見えたが、重臣たちはそれでも止まらなかった。

何故この手法が効果を生むのか、人の心に何がどのように作用するのか、その肝を詳らかにせずして真の「心理的安全性」は語れぬと息巻き、ついには『心理的安全性 原理経典』を作り上げた。経典に精通した者は師と仰がれようになった。

しかし精通したものにしか理解できない経典では効果は見込めない。軍議に参加する誰もが真意を正確に理解できなければ意味をなさないと考え『原理経典 注釈』なる巻物も作成した。手抜かりはない。

それらは軍議の場で正確性を記すために用意されたものである。もちろん現場の全ての者に読ませるために『原理経典 要約之巻』を人数分用意した。そんな行き届いた配慮を見せたことも、彼らが師と仰がれる所以なのかもしれない。

やがて大将の思いは実り、あしはら国は信仰を深めることになった。

ある夜、大将はしばらく報告書を見つめたのち、ゆっくりと額に手を当てた。

──なぜ、戦に出ぬのだ。


手段を真似するのではなく、自組織にあった方法で心理的安全性を高めようとする工夫を色々とやってみた結果、結局「ぬるい組織」を作ってしまい、困ったことに「心理的安全性を高めることは素晴らしい」という思いだけが強くなってしまう例です。

私は心理的安全性の効果がないと思っているわけではありません。むしろ「効果的ではないチーム」を「効果的なチーム」にするにはとても有効だと思っていますし、マジシャンとしてはこういう心理的アプローチは積極的に取り入れたいところです。

ではなぜ心理的安全性が有効に働かないケースがあるのか?そもそも高める必要があるのか?「効果的なチーム」を目指す他のアプローチはないのか?

次回、ちょっと真面目に考察。

2025年12月9日火曜日

心理的安全性の物語
第2章:まほろば国の戦い

この記事は、ケーシーエスキャロット Advent Calendar 2025 の9日目の記事になります。

「心理的安全性は効果的らしい」
そんな情報を得て素直にその手法を導入した事例を見てみましょう。


第2章:まほろば国の戦い

まほろば国の大将は苛立っていた。

領土拡大のために各地へ配した精鋭部隊から、勝利の知らせがなかなか届かない。 大将のもとに届く報告は、そのすべてが様式美を纏い、忠義を尽くす書状ばかりであったが、戦況の改善には繋がっていなかった。

奇妙なことに、それぞれの陣はどこもかしこも洗練されていた。軍議はいつも静寂に満ちていた。大将の命に背かぬ戦略であるか、戦うことに大義があるか、褒美の配分は妥当か、戦況報告に粗相がないか、一つひとつ丹念に吟味されていた。

軍議の場は神聖であるとして、刀は持ち込まず少し離れた床几に立てかけてある。 ただし、いつでも出陣できるように、全員が鎧兜を身に着けていた。 それはまるで「慎重」と「即応性」の絶妙な折衷を体現するかのような姿だった。

しかし、陣の洗練ぶりとは裏腹に、戦況は一向に好転しない。

そのときである。

ひとりの若い侍が、この膠着を破る重要な事柄について、震える声で言上した。

「おそれながら……数年前、ググール国の優れた戦略家が残したという戦術書が、密かにこの国にも伝わっておりました。それがここに」

聞けば、その戦術書を取り入れた部隊は驚異的な戦果を挙げたという。将軍はその効果の絶大さに瞠目した。

「すべての隊に、この“心理的安全性”なる戦略を導入せよ!」

その日を境に、各部隊の様子は一変した。 形式を重んじて揃いの鎧兜に身を包んだ者たちは、将軍の命に従い、盾をも装備することになった。

しかも、なぜか両手にひとつずつ……。

最初はどの陣も戸惑いの色を隠せなかったが、将軍の命に背くものは一人もおらず、新たな形式として受け入れた。 盾を持つ角度まで統一して士気を高めながら軍議に臨む。すると、軍議の雰囲気は急速に変わっていった。

熟練の者の指図を一言も漏らさず聞き取る姿勢だった若い者は、いつしか積極的に声を発するようになっていた。 さらには、自らの戦場経験を生かした策をたった一言で厳かに伝えていた者も、いまや笑顔で若い者の意見に耳を傾けている。

「それにしても、この盾……両手にひとつずつ持つものなのでしょうか?」
「いや、わしも初めてじゃが、とにかく絶大な安心感よ。このまま眠れそうなほどじゃ」
「眠られては困りますよ!」
「じゃが、拳骨が飛んでくることもあるまいよ」
「たしかに。みな、両手が塞がっておりますからね」
笑いが起こる。

別の隊でも似たような会話が交わされていた。
「あの、この軍議の記録をつけたいのですが、両手が塞がってしまって……」
「わしも身動きが取れぬのだが、皆が動けぬとなれば、これはこれで安心よな」
「なんと申しますか、“平等”というものを肌で感じますな」
「うむうむ、実によろしい」

軍議の場には、かつてないほどの安堵と笑い声が満ち、夜が更けてもなお語りは尽きなかった。

そして翌朝──
大将のもとに届いた報告書には、どの隊も戦に出る前から満足げに、
「本日も軍議、大いに進捗あり」
「誤解なき発言多数、討議の安全確保」
「隊員一同、これ以上ないほど安心」
「“心理的安全性”の効果は絶大なり」
などと綴られていた。

やがて大将の思いは実り、まほろば国は親交を深めることになった。

ある夜、大将はしばらく報告書を見つめたのち、ゆっくりと額に手を当てた。

──なぜ、戦に出ぬのだ。


なんか安全になりました、という「ぬるい組織」を作るのが目的になってしまう例です。心理的安全性という言葉に引きづられて、意味を履き違えてしまったということで、結構よくみられる勘違いです。

自身や組織にとってリスクのある事柄でも、躊躇せずに発言できると思える環境が「効果的なチーム」を作る、というのが google の研究結果です。リンク先の google の記事を読んでいただければ、決して「ぬるい組織」を目指していないことがわかります。
「効果的なチームとは何か」を知る

それに対して、間違った解釈でぬるい組織をつくる方向に解説している記事が結構あります。幸いなことに、世の中にはこの誤りを指摘する記事もたくさんあります。さらには間違いを指摘するだけではなく、きちんと日本にカスタマイズした手段を提示している記事まであります。

なのですが、、、

私のモヤモヤはこの先にあります。日本にカスタマイズしたやり方で心理的安全性を高めたら、本当に google の言う「効果的なチーム」になるだろうかと。次章、あしはら国の物語。

2025年12月8日月曜日

心理的安全性の物語
第1章:ググール国の戦い

この記事は、ケーシーエスキャロット Advent Calendar 2025 の8日目の記事になります。

 「心理的安全性」という言葉、どうもしっくりこないと感じているのは私だけでしょうか?この手の話はなぜかセンシティブに扱われていて、ちょっと否定的なことは言い難い雰囲気があります。弱者の気持ちが分からない人だと思われるのは避けたいでしょうし、仮に「心理的安全性を高める施策ははとりません」などと言ってしまうと、パワハラ認定されてしまうのではないか心配になる人もいるでしょう。ある程度気遣いができる人なら、少なからずこのリスクを味わっていることと思います。ちなみに、この状況を「心理的安全性が低い」と表現するようですが。。。

今回は、このちょっしたモヤモヤを小説風に表現してみます。3章構成で。


第1章:ググール国の戦い

ググール国の王は苛立っていた。

領土拡大のために各地へ派遣した精鋭部隊から、勝利の知らせがなかなか届かない。 王のもとに届く報告書は、どれも血気盛んな武勇伝ばかりだが、戦況の改善にはつながっていなかった。

ところが、ひとつだけ特異な報告をする隊があった。その隊の報告は、いつも簡潔で、犠牲が少なく、成果だけが静かに積み上がっている。 圧倒的な強さを持つ勇猛な武人がいるのだろうか。それとも知略に富んだ軍師がいるのだろうか。その理由は報告からはわからない。

もし、この隊の秘密を他の隊にも適用できれば、この戦 ── 勝てる!

たったひとつの隊の特異な報告ではある。だがその報告に光明を見出した王は、激励を兼ねて出陣地を訪れることにした。当然、側近たちは反対する。王が城を空けて戦線に出向くような段階ではない、と強く止める声があがった。それらの意見を抑えて、王が自ら戦線に足を運ぶことを決めたのである。この隊の秘密は値千金であると信じて。

しかし、出陣地を訪れた王が目にした光景は、想像とまったく異なるものだった。隊員たちは、お互いに距離を取って円陣を組み、巨大な盾を構えて軍議の場に臨んでいたのである。異様な光景に見えるが、若い剣士も決して怯まずに意見し、熟練の剣士たちはその意見の穴を指摘しつつ、より緻密な戦略に練り上げていく。時に対立する意見を戦わせながらも決して破綻することはなく、議論は洗練された結果を紡いでいく。それはまるで事前に小さな戦をしているような景色だった。王は気がついた。

──この隊にとっては、実際の戦場に赴くことは、幾度目かの再戦に臨むのに等しい。

他の隊との違いはこの異様な軍議にあり。そう看破した王であったが困惑は残る。軍議の終わりを待ち、王は指揮官を呼んだ。

「これほどの戦果を挙げている理由を知りたい。なぜ盾なのだ?」

指揮官は静かにうなずき、経緯を語り始めた。

「最初は、我々も他の隊と変わりませんでした。経験豊富な剣士の言うことに従うしかなく、若い者は声を発することすらためらっていたのです。そこで、全員に剣を持たせて軍議を行うようにしました。剣を握れば若い剣士でも発言するだけの力を得られると考えたのです」

王はうなずいた。剣を持つことは力の象徴だ。発言力の象徴にもなるのだろうと。しかし指揮官は続けた。

「ところが、思わぬ事態を招きました。誰もが剣を持つようになると、いつ斬られるかと互いに牽制し合い、軍議は静まり返ってしまったのです」

王は眉をひそめた。剣はただ疑念を鋭くするのみか。

「そこで私は発想を変え、全員を“剣の届かぬ距離”に立たせ、さらに盾を持たせました」
「盾を?」
「はい。盾があれば、意見が割れた者から切り付けられるのを一度は防げます。その間に周りの者が止めに入りますので大事を避けられる仕組みにしたのです」

指揮官はそこで初めて穏やかな笑みを浮かべた。

「驚いたことに、急に皆が語り始めたのです。誤った作戦でも、愚かな意見でも構わず口にできる。 互いが安全を確かめたことで、ようやく戦の失敗を事前に避けられるようになりました」

これが、あの報告書に書かれた秘密か。王は深く息をついた。盾など兵士の持ち物のひとつにすぎないと思っていた。 だが、この隊にとって盾は、己の身を守るのみならず、互いの言葉を守る道具であった。

「この仕組みを何と呼ぶ?」

「“心理的安全性”と呼んでおります。そもそも実際に危険なことが起きたことはないのですが、起きるかもしれないという疑念を取り払うことが重要と心得ます。剣を持つことよりも、互いの心を守ることが、強い隊をつくるのです」

王は遠くを見つめた。剣を振りかざすばかりの国の未来が、急に薄い霧の向こうに感じられた。そして、盾を掲げる者たちの隊こそ、これからの国を支える礎になると悟った。王は他の隊にも盾を、いや“心理的安全性”を導入することを決めた。そして指揮官を呼び、この理論を戦術書にまとめることを指示した。

帰還した王は、国の未来を託したこの戦術書を各隊に配布し、全隊員を信じて待つことを決めた。

やがて王の思いは実り、ググール国は進攻を深めることになった。


google の組織研究の結果を表現してみたつもりです。要はこうなることを夢見て心理的安全性を取り入れようとするわけです。
で、この手法をそのまま真似して導入するとどうなるか。次章、まほろば国の物語。